ガザの人々

 ガザの人々。と言ってもFacebookで繋がってる数人のコトしか知らないんだけれど。

それまでもパレスチナ難民という言葉はテレビのニュースや新聞で耳にしたり目にしたりすることはあった。でも、ただそれだけ、なにか行動を起こすことはなかった。正直に言おう、僕には関係のないコトだと思っていた。
そして四年前、2014年の夏。イスラエルの大規模なガザ侵攻をネットで見て、どうしようもなく悲しい気持ちになってしまった。テレビや新聞ではなく、ネットの情報をたくさん見てたし、画面には惨状を伝えようとするガザの人々による、僕らには正視できないような画像が溢れた。特に子どもたちの変わり果てた姿は僕の心を引き裂いてしまった。それからというもの、ガザに関する投稿が増えていった。僕の投稿で見たくない画像を見てしまい気分を害した人がいるし、辛いけど知らなきゃいけないと共感してくれた人もいる。イスラエル人やイスラエル在住の日本人に、あまりにもパレスチナ人寄りに偏っている、と指摘されもした。いや、当時のことはこれくらいにしておこう。

その後、僕の投稿を見たガザに住むパレスチナ人からのコンタクトが増えた。彼らが僕と繋がろうとする理由は、お金。親を失くした子どもたちの為、紛争で怪我を負った人の治療の為、再び大学に戻り勉強する為、貧しい家庭に食べ物を提供する為、これらが主な理由だった。至極当然な理由だと思ったし、快諾した。ただし一度に大きな金額は無理だから毎月少しずつ、って条件で。ただ、一度送金すると調子に乗って「もっとくれ、もっと必要だ」って言ってくるのもいて、そういうのは申し訳ないが断ってる。

現在は5人の友人たちに月/2人にそれぞれ50ドルずつをローテーションして送金している。

 

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一方で、僕の友人の1人に直にパレスチナを、ガザを知る人がいる。彼女はイスラエル人入植地がまだガザにあった2001年(第二次インティファーダの頃)、そして昨年にガザを訪れている。ヨルダン川西岸地区にも度々訪れている。彼女はパレスチナの刺繍や陶器などを日本に紹介することで、特にパレスチナ人女性をサポートしている。

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彼女から聞くガザの様子は、厳しい状況ではあるけれど、ショッピングセンターがあったり、レストランがあったり、ビーチがあったり、我々日本人と同じような日常もあると言う。しかし、辛いのは大人たちが子どもたちに夢を語ってあげられないこと。子どもたちに将来の夢は?と聞かないでほしい。と......... ガザの若者はすべての紛争を見ている、インティファーダイスラエル軍空爆、地上侵攻、海上封鎖........ 失業率はとても高く、大学を卒業してもタクシー運転手の職があればまだ良い方。

国境なき医師団」の手術室看護師として働く白川優子さんもガザで出会った少女に「ガザの外はどうなってるの?」と聞かれなにも答えられなかったと言っています。

世界一大きな監獄の少女(ガザ) | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

そして今、毎週金曜日の#GreatReturnMarchにおいて多くの死傷者を出しながらも、それをやめない理由は..............

封鎖、抑圧、失業、貧困、トランプ............. あの場でしか発散することが出来ないフラストレーション。

 

ガザの友人の1人は、封鎖が解けたらまず日本に行きたい。そして僕と僕を育てた家族にありがとう、と伝えたいといつも言っている。ガザのKhan Yunisというところでは少なくない子どもたちが僕の名前を知っていると伝えたいと。

 

 

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