日本にはパブロ・イグレシアスは現れないのか?

パブロ・イグレシアス。ご存知の方も多いと思います。スペインで2014年に結党した左派政党「ポデモス」の党首です。ポデモスとは英語で「We can」日本語で「私たちにはできる」といった意味だそうです。思想的には左派ポピュリズム、反体制主義、を掲げています。当時のスペインはシャレにならない財政赤字、シャレにならない失業率を抱え、与党の国民党、国民党から与党の座を奪われた社会労働党が支持を失う中、スペイン共産党が中核となり政党統一連合左翼が躍進しました。野党共闘と叫びながらいまだにバラバラのどこかの国とは月とスッポンの違いですね。

そこで登場するのが、大学で政治学の教授であり、テレビの政治討論番組の司会者であるパブロ・イグレシアス彼はいくつかの憲法の見直し、中絶権の維持等を強調しつつ、スペインのNATOからの撤退を要求し、自己決定権を支持しました。2014年初めの結党記者会見では多勢の記者を前に反資本主義左翼の闘士やリーダーが顔を揃えました。

細かいコトは省きますが、分かりやすく言うと「野党、特に左派は団結しようぜ」的なスタンスだったのです。

その直後の欧州議会議員選挙でポデモスが第4党になるとさらに話題になり、イグレシアスはたちまち時の人になったのです。

彼は公約ありきではなく、国民の不満や不安を直に吸い上ることにしました。政策決定のプロセスに市民を参加させ、それにより政治に不満を持っている層、失業者や低所得者の声を政策に反映させていきます。ベーシックインカムの導入、企業が従業員を勝手に解雇できなくさせる、大企業や多国籍企業のための租税回避の救済、中小企業の振興などです。

 

実際、日本はどうでしょうか?この夏には参議院選挙があります。野党は共闘できるのでしょうか?自民党はともかく、公明党を蹴散らし議席を伸ばせるでしょうか? 自分たちにだけに耳障りの良い建前の公約で戦うのでしょうか?
戦後、自民党が築き上げてきた基盤を崩すのは並大抵では出来ないことでしょう。だったら、政治に無関心と言われている若い層に呼びかけてみてはどうだろう。ベーシックインカムの導入、大企業の勝手は許さない、そういうことを若者に本気で投げかけるべきではないだろうか?

っていうかマジで共闘しろよ。

 

 

弱いものいじめなんて言語道断だ!

怒ってます。とても怒っています。

弱いものいじめしちゃいけないなんて子供の頃から叩き込まれてきたはずだよね? なのになんでいじめはなくならないの? 学校で、職場で、なぜ誰かをいじめなきゃならないの? そんなことして楽しい? そんなことして平然としていられるの? 全然理解できないよ。いじめが理由で命を投げ出してしまう人がどれだけいる? 自殺するのはその人が弱いから? バカ言っちゃいけない、弱い人は守ってあげなきゃいけないんだよ。
先日ラジオを聴いてたら「体罰を禁止する法律」云々言ってたけど、物凄く違和感を感じた。そもそも家庭であっても学校であっても、社会のどんな場面でも暴力は絶対にダメでしょ? そんな法律を真剣に考えてる政治家とか有識者に呆れる思いですわ。

人が死んでるんです。子どもたちが死んでるんです。

法律で定めるならば、いじめた奴らを徹底的に処罰するよう徹底してもらいたい。

僕も成長過程で父親によく殴られました。父親は息子にまっとうな人間になってもらいたいと思っての愛の鞭だったと思います。でもね、少なくとも僕には逆効果だった。父親には言わないけど、僕は父親が嫌いだしね。

今の僕は人に対して甘すぎるんじゃないの?って思われるくらいだと思う。でも僕はこれからもそういう生き方をしていく。暴力で人は変えられないと思ってる。人を変えられるのは優しい心やユーモア、それを貫くことだと思う。

いじめなんかに負けるな、じゃないんだよ。いじめは絶対にしちゃダメだって言い続けなきゃいけないんだよね。

人は変われるよねぇ............

2011年以前と2011年以降、考え方や物の見方、はたまたライフスタイルそのものが変わった、という人は多いと思います。そういう友人もいるし、SNSで繋がってる人たちは皆そうだと思います。
僕もそのうちの一人なのですが、僕の場合何が変わったのかというと.............
皆さん、笑わないでくださいね。

自分で言うのもアレですが、自分の人生に真面目に向き合うようになりました.........
ゲラゲラw やっぱりみんなで笑いましょう。「真面目」という単語と僕は結びつかないですよね。

という具合に変わった、と自分では思っているのです。やっぱり笑う方がいいよね、と気づきました。それまでは何かと物事を悲観的に捉えて、塞ぎ込んだり落ち込んだり、ホント面倒臭い人間でした。多分周りの人たちも迷惑だったと思います。

まぁ、今でも感情の起伏は激しいですが...........

2011年の出来事、それに対する様々な人の反応、自分の反応、人は変わろうと思えば変われるものなんだなぁ、と実感しています。官邸前や経産省前、当時数十人程度しか集まらない場に毎週顔を出したり、福島から僕の家の近所に移住してきたけど、パートナーとうまくいかない、と言って困ってた人を僕の家に泊めたり(喰ってませんw)。それまでの僕だったらそんなことしただろうか?って。

そして、人生はいつ終わってしまうかホントに分からない。明日には僕がいなくなってるかもしれないし、僕の大好きな人がいなくなってるかもしれない。そう考えるとやっぱり楽しまなきゃ、と思う。僕が楽しいと感じることは、僕自身が笑うことじゃなくて、誰かが笑ってくれることだから、僕はそれをこの先も一生懸命やっていくつもりです。

「唯一わたしがやりたかったのは、人々に笑いという救いを与えることだ。ユーモアは人の心を楽にする力がある。アスピリンのようなものだ。百年後、人類がまだ笑っていたら、わたしはきっとうれしいと思う」
『国のない男』カート・ヴォネガット・ジュニア

国のない男|文庫|中央公論新社

彼は僕なんかよりずっと壮大な思いを持っていたと思うので、100年後とスケールがデカいですが。僕は今この瞬間、身近にいる誰かを笑わせたいといつも思っています。お腹を抱えて大笑い、じゃなくてもいい、ほんの少しクスッとくるような、じわじわとこみ上げてくるような笑いとか、なんでもいいんです。そうすることで誰かが少しでも楽になってくれればね。

そしてもうひとつ、僕が思っていること。「笑う」ということはユーモアだけじゃない、ということです。そしてそれは僕にとってはユーモアよりもずっと難しいかもしれません。おかしな格好でおかしな振る舞いをしたり、おかしなこと言えばほとんどの人が笑うでしょう。でもやっぱり、お腹が空いてたり、寒い冬に毛布が無かったりしたら..........
以前にこのブログで書きましたが、僕は毎月少額ですがガザの友人たちにお金を送っています。

ガザの人々 - 行けたら行きます.....

彼らのお金の使いみちのほとんどが食べ物か着る物です。

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この子たちが安心して笑える、そんな日が来ることを日々願っています。もちろんガザだけではなく、世界中の子どもたちが笑って過ごせる日が来ることを願っています。

戦争も貧困もいじめも差別もない世界、みんなが願えばきっと実現出来るはずです。お花畑だと笑いたければ笑えばいいです。その代わり、僕や僕の友達の邪魔をしないでください。僕は元々善人ではないので、すべてを赦すなんてことはしませんから。どんな汚い手を使っても反撃しますからね。
でもね、タイトル通り人は変われるんです。バカウヨの皆さん、手遅れにならないうちに改心したらどうですか?

 




 

 

 

 

 

占星術

皆さん、星占いって信じますか? 尋ね方がちょっと違うかな? 星占いって好きですか? が良いかな? 信じる信じないは個人の自由ですからね。

僕はというと、実は大好きなんです。なんかね、夜空に輝く星と自分のパーソナリティがシンクロしてると思うとワクワクしませんか? 自分が生まれた日に太陽や月、他の惑星たちの位置が自分に影響してるなんてとてもロマンティックですよね?

 

もちろん、他にも血液型や動物占い、干支や九星気学なんてのもありますし。それに教育や環境だってパーソナリティの形成に大きく関係しています。

 

そんな中で、なぜ僕が星占いが好きかというと..............
単純に「なんだ、当たってんじゃね〜か」と思うからです。もちろんすべてではありませんが。ちなみに僕の血液型はA型ですが、大体の場合B型に間違えられます。まぁ、占いとはそんなモノなのでしょうけど。

 

ご存知の方も多いと思いますが、星座には「太陽星座」と「月星座」があります。僕の太陽星座は蟹座で月星座は獅子座です。多分、一般的に話題にされているのは太陽星座なので興味のある方はご自分の月星座も調べてみてはいかがでしょうか。

 

太陽星座と月星座の違いを簡単に説明すると、「太陽星座」とは文字通り、生まれた時に「太陽」が位置していた星座。そして太陽星座が表すのは、その人が「外」に向かって発揮するもの。つまり、他人や社会との関りの中でどんな才能や個性、傾向を表し、何を大切に生きようとするのか、といったことです。社会の中で生きる大人にとって、この太陽星座の傾向は最も目立ち、大きなウェイトを占めるもの。

 

一方「月星座」は一般的な星占いでおなじみの「太陽星座」とは別のものです。月星座が表すのは、その人が「内側」に本来持って生まれたもの。例えば、社会の中で自分を積極的に表現しようとする時には姿を隠しているけれど、本当はあなたの心の奥底にある欲求。努力して身につけなくても、本来あなたの中に備わっている能力や魅力。そしてあなた自身も気付いていないかもしれない、秘めた可能性。

 

どうです、今まで「太陽星座」の情報だけで気になるあの人を攻めきれずにいた方、月星座をチェックしてみると違った攻め方が出来るのでは? 川嶋あいさんの「明日への扉」の 中に出てくる “占い雜誌 ふたつの星に 二人の未來を重ねてみるの” という歌詞の意味も幅が広がりますね。

そして僕は「太陽星座」も「月星座」も自分のものしか調べてないのですが(気になるあの人のことをチェックしたコトは内緒)。僕の場合、まるっきり真逆の特性があるようです。ここで詳しく紹介はしませんがひとつだけ。太陽星座の蟹座の守護星は「月」、月星座の獅子座の守護星は「太陽」。一方が輝けば一方が隠れる、そんな相反する星のもとに生まれたようです。

 

そして不思議なことに最近は、太陽や月をモチーフにした物に目がいくのです。アクセサリーだったり、タトゥーのデザイン(近々入れるつもり)だったり。

やっぱり星と僕たち人間ってシンクロしてるよね、ってあらためて思う今日この頃の僕なのでした。

PS. これ合コンネタにもってこいじゃね?

 

 

 

 

 

セレブの役割

こんばんは、クリスマスイブですねぇ。山下達郎が歌ったように僕のところには誰も来てません。そして浜省の「一人ぼっちのクリスマスイブ」でとどめを刺されたところです。

今年は仕事が忙しくてなかなかチェック出来ていませんが。欧米ではセレブと呼ばれている人たちが大金をど〜んと寄付したり、みずからプレゼントを抱えて走り回ったりしてるようですね。
日本のセレブの皆さんはどうなのでしょう? もちろん金もプレゼントも惜しみなく提供しているでしょう。ただ、奥ゆかしい国民性の故、黙ってるだけなんでしょうねぇ(棒)。
親からもらったお小遣いをやりくりしたり、一生懸命バイトして、CDを買ったりコンサートに行ったり、それがアスリートであればスタジアムに観戦に行ったり。

日本のセレブと呼ばれている方達、あんた達の食い扶持の出どころ分かってますか?今日明日くらいそのことを考えてくれてもいいと思うんですけどね。
クリスマスですよ。
考えただけでも泣いちまいそうですが、明日はまだ冬休みじゃないんですよ。こどもたちはみんな登校して、もらったプレゼントのことで盛り上がるんですよ。欲しかったプレゼントをもらえなかった子、プレゼント自体がなかった子、そんな子もいるんですよ、マジで。もちろん親だって辛い思いをしてる。
そういうことを考えてみてはもらえませんかね?
普段はどんなに贅沢しててもいいです、あなたの才能と努力で得たものです。うんと自慢してください。でもね、あなたの才能に共感して対価を払ってる人たちのこと、ちょっとでも考えて欲しいです。
クリスマスですよ。

クリスマスなんて大っ嫌いだ!

自分が選んだ仕事とはいえ、毎年クリスマス前というのはとんでもなく忙しく、ほぼ一ヶ月の間、休みは取れないし徹夜仕事もあったり。「こんな会社絶対に辞めてやる」と心中穏やかではありません。クリスマスの元々の意味を考えると、こんな派手な装飾はいらねぇだろ、と思うわけです。

そこでみなさん、クリスマスの意味をいまいちど考え直してみませんか?別にやめろとは言いません。ちょっと商業的(ハロウィン、イースターサンクスギビングにも手を出してる)過ぎるし、馬鹿騒ぎするためのものではないでしょう。

“クリスマスは基本的に自宅で家族と過ごすものであり、クリスマスのずいぶん前から一緒にリースやクリスマスツリーを作ったり、家を飾り付けるなどの協同作業をすることで家族で一緒に過ごす喜びを確認し、クリスマスの当日には家庭料理を味わうのが一般的であり、あえて外出するのはクリスマスミサに参加するため、教会に行くくらいである”(wikiより引用)

みなさん、おうちで静かに過ごしましょう。こどもたちにはささやかなプレゼントを、僕たちは心のこもった手作りのカードを交換し合いましょう。気になるあの娘の気をひくために高価なプレゼントを、なんてやましい気持ちは捨てましょう。山下達郎も「きっと君はこない」と歌ってるじゃないですか。

とはいえ、僕が愚痴ろうがぼやこうがクリスマスはやってくるし、既に街はサンタやツリーや色とりどりのイルミネーションがきらめいていますね。

そんなサンタやツリーやイルミネーションを製作して施工するのが僕の仕事なのです。ある物件では日中作業で人通りもたくさんある中で施工するコトもあります。モノがデカいだけに施工の途中でもクリスマスのデコレーションだとわかるので、通りかかる人たちも立ち止まって見上げたり写真を撮ったり。そして、なんといってもみんな笑顔ですね。なんだかんだと言ってもやっぱりクリスマスには魔法があるんです。特に、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれると信じているこどもたちの様子は、見ている僕も心が温まります。「わぁ、おっきなクリスマスツリー!」「サンタさんだ〜♬」と瞳を輝かせる姿は、心が汚れきった僕には感動ものです。

そして思い出します。息子と最期に過ごしたクリスマスのコトを。4歳だった息子はもちろんサンタを信じていてプレゼントもサンタが持ってきてくれたと信じていたのですが。25日の朝、目覚めて枕元のプレゼントに気づいた彼は一目散に駆け出し、窓を開け空に向かって大声で「サンタさん、どうもありがと〜!サンタさん、どうもありがと〜!」嬉し涙を流しながら何度も叫んでいました。子育て間違ってなかったなぁ、なんて思ったりもしたのですが。如何せんその後が問答無用で父親失格の僕なのであります。

そんなわけで、クリスマスにはおとなもこどもも笑顔にする魔法のような何かがあると、僕は今でも信じています。そしてクリスマスについてもう一度考えてみましょう。

かの第256代教皇ベネディクト16世フィナンシャル・タイムズへ寄稿し、以下のように述べています。

“貧困と闘わなければならない。資源を公平に分かち合い、弱者を助けなければならない。強欲や搾取には反対すべきだ。……
クリスマスはとても楽しいが、同時に深く内省すべき時でもある。私たちはつつましく貧しい馬小屋の光景から何を学べるだろう

と..........

まぁ、いろいろ書きましたが、みんながどうやってクリスマスを過ごすかは自由です。思い切り楽しんでください。そして、もし可能であれば、恵まれない境遇にいる人たちに少し分けてあげてください。靴下の中身が溢れていたら、誰かと分け合ってください。チキンが大きすぎたら、お腹をすかせてる人に分けてあげてください。今までに受けた親切を思い出して、それを他の誰かに返していきましょう。

あなたも魔法を使えるんです、そしてそれはクリスマスだけじゃなく、毎日ね..........

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旅人には親切に、ある人は知らずに天使をもてなした。

聖書からの一節です。ホントはもっとちゃんとした文章なのですが。もしも興味がある方は新約聖書ヘブライ人への手紙」をご覧になってみてください。13章2節です。「ヘブライ人への手紙」はなかなか文学的ですよ。

と、なんだか聖書を読んだことあるみたいな感じですが............。

実は読んでました。僕が通っていた大学では「キリスト教概論」という授業が必須科目だったのです。

しかし、この一節を見つけたのは授業ではなく映画の中です。ロバート・デ・ニーロショーン・ペンが共演した俺たちは天使じゃないの中でした。ご存知の方も多いと思います。その後、ちゃんと聖書も読み返しました(嘘)。

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この映画、いつ頃観たのか思い出せないのですが、それ以来この一節をたま〜に思い出し「人には親切にしなきゃいかんなぁ」と漠然と思ったりもしました。ところが、僕は特別親切でも優しくもなかったし、というよりひどい人間だったかも知れません。今でこそ聖人君子を地で行くナイスガイですが若い頃はそりゃもう(以下自粛)...............。己の黒歴史をここでカミングアウトすることはやめときます。

余談はこのくらいにして。

この一節を僕に思い出させてくれたのは「結婚」がきっかけでした。結婚していた約八年の間、今とは別の姓になっていた時のあの経験が、僕を聖人君子を地で行くナイスガイに変えたのです。どんな経験だったかは別に機会を設けますが(詳しく思い出すと具合悪くなって吐いてしまう)、ここは地獄か?と思うほどでした。そしてなんとか離婚を成立させ(あいつら散々酷い目に遭わせたくせに離婚は許そうとしないんだよね......)、身体ひとつで逃げ帰ってきたわけです。

人は絶対にあんな目に遭っちゃダメです。断言します。人は絶対にあんな目に遭っちゃダメです。そこでこの一節です「旅人には親切に、ある人は知らずに天使をもてなした」です。「親切に」なんて素敵な言葉でしょう。この際「旅人」も「天使」も忘れちゃいましょう。別に旅人限定じゃなくたっていいんです。というよりみんな旅人です(どっちだよ)。人生を旅してるんです。みんな人生をより良くしようとする旅をしているのです。そしてその旅人はみんな天使です。ひとりひとりがどこかの誰かにとってのかけがえのない天使なのです(もうめちゃくちゃ)。

 

誰かが困っていたら、助けを求めていたら、手を差し伸べましょう。誰かが迷っていたら、背中を押してあげましょう。誰かが不安に駆られていたら、声をかけてあげましょう。ただ静かにそばにいるだけでもいい。

きっと伝わるはずです、僕はそう信じています。

 

現在、日本は弱者にとても厳しく、とても意地悪な社会です。おまけに政府は首相をはじめ嘘つきのポンコツだらけです。この状況を変えるには相当な時間、相当なエネルギーが必要です。

それでは、政治に期待を持てない今(ちなみに僕はアナキストです)、僕たちはどうすればいいのか? 僕たちに何ができるのか?

僕が思うヒントはこちら。

 

“人生に意味を与える道は、人を愛すること、

自分の周囲の社会のために尽くすこと、

自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと”

 これは、アメリカジャーナリストミッチ・アルボムによって書かれたノンフィクション「モリー先生との火曜日」に出てくる言葉で、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたモリー・シュワルツ教授が、死を前にして、かつての教え子であるミッチに贈った言葉です。

モリー先生との火曜日 - Wikipedia

 

この際「愛」なんて忘れちゃってください(またか?)。まずは「愛」<「親切」です。そして実践しましょう。「LOBE&PEACE!」ばかり叫んでるパ〜プリンに騙されないでください。「愛」は人を傷つけることもあります。カート・ヴォネガット・ジュニアも作品の中で “ Love may fall, but courtsy will prevail ”  「愛は負けても親切は勝つ」と言っています。世界を救おう!なんて大げさじゃなくていいんです。小さくていいんです。パートナー、家族、職場etc。自分の周りの小さなコミュニティでいいんです。みなさんのちょっとした「親切」を発揮してみてください。誰かを「幸せ」にすることは難しいかもしれないけど、ほんのちょっとだけでも「幸せな気持ち」にすることは出来るかもしれない。

分け合えば辛い気持ちは半分に、分け合えば嬉し楽しい気持ちは倍になります。
そしてそれを、昨日より今日、今日より明日、ってな具合に少しずつ積み重ねていきましょう。もちろん、自分にも優しくしてあげましょうね。

 

「旅人には親切に、ある人は知らずに天使をもてなした」

知っていようがいまいが、みんなが天使なのです。みんなが旅人なのです。背中を押された人も、押した人も...................

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