お母さん、愛してるよ…………

お母さんが死んじまった。いつかこの日が来るのはわかっていたけど、まだもう少し先のことだと思っていた。そしてその日は突然やってきた。何の前触れもなく。

入院はおろか通院もしておらず、酒好き故に(血はあらそえませんね)尿酸値を抑える薬は飲んでたけど、毎日愛犬レチェの散歩に行き、何も家のことなど出来ない親父と兄貴の飯のために買い物に行き、町内会のババァどもと呑みに行き、幼稚園や保育園の児童に読み聞かせに行き、食生活改善委員として料理の指導をしたり。あと何だったっけ、とあげればキリがないくらい元気だったのにね。

そして、通夜前日まではこじんまりした式になるだろう、と勝手に思っていた残された男三バカどもは通夜当日、予想をはるかに上回る人数の会葬者にビックリ仰天。会場の外にも席を作らなきゃいけないわ、返礼の品は足りなくなるわであたふたしてしまいました。

お母さん、いろんなところでいろんな人に慕われていたんだなぁ、と男三バカはお母さんの偉大さを知ることとなりました。

そんなこんなでバタバタとなんとか告別式を終え、そういえばすんげぇ暑くね?と連日の猛暑にも気づかず、帰宅するやいなや速攻でそれぞれの部屋のクーラーを全開にした三バカでした。

俗名 房子。戒名「明庭房圓信女」お母さんにぴったりの戒名だなぁ、と思います。明るい庭の房をみんなで分かち合い過ごしてきたお母さんなんだなぁって。

お母さんとの思い出は、いっぱいあって書ききれません。僕は小さい頃からお母さんが大好きで、例えば授業参観でお母さんが来ると「他のどのお母さんより可愛い💕」と思ってたし、高校を卒業してからは離れて暮らしてたけど、帰省した折りには必ず一緒に買い物に行ったり、一緒に料理したり、初詣に行ったり一緒にお酒を呑んだり、お母さんにべったりでした。先月のお母さんの誕生日会までそれは続きました。親孝行と言えるかわからないけど、お母さんは楽しそうだったし、僕も楽しい時間がもうしばらくは続くのだと思ってました。

今、お母さんの肉体はなくなり骨となり、いずれ土に還ります。生前の望み通り樹木葬にすることになりました。きっとお母さんの笑顔のような可愛らしい花を咲かせてくれることでしょう。

とにかく、お母さんはいつも笑顔だったし、困ってる人、弱い人の味方でした。何より未来を担う子どもたちが大好きでした。今の僕があるのは間違いなくお母さんのおかげです。

感謝の気持ちとともに、お母さんが願っていたこと。世界中のすべての人が楽しく過ごせる世界、子どもたちがお腹を空かせない世界、争いごとのない世界。そういう世界が一日でも早く実現出来るように、頑張って生きていこうとあらためて思っています。

 

お母さん、会えなくなっちまってさびしいけど、お母さんはオレの胸の中で生き続けるよ。お母さん、そっちはえらく楽しいんだろ? 俺がそっちに行くまで楽しみながら待っててね(^_−)−☆

お母さん、愛してるよ(๑˃̵ᴗ˂̵)